一二三四五六七

その時に感じたことを書きたいです。

『SeaBed』感想

例えば貴方が居なくなっても、私はずっと貴方のことを考えていて、貴方もずっとそこにいるのよ 

ー水野 佐知子/『SeaBed』

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 『SeaBed』(2016-01-25)

ブランド:paleontology(同人)

原画:hide38

シナリオ:Akira,hide38

 

公式サイト:

middle-tail.sakura.ne.jp

 

 DL版販売サイト:

www.dlsite.com

 

 

[目次]

重大なネタバレは「3節.舞台設定・登場人物・Tips」以降にしかないので、『SeaBed』が気になるけど情報がほしいという方は「2節.この作品のどこが魅力的だったか」まで読んでいただけると幸いです。

 

物語

 

リビングで亡霊を見た。
それを見るのは慣れたもので、私は気にせずに夕食を作って食べる。
亡霊は私の作った卵焼きを食べて美味しいと言った。
私は彼女の話を聞きながら、彼女と暮らした日々のことを考えた。

彼女は学生時代の私に「私達が一緒にいるために必要なものはなにか?」、と尋ねた。

 

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               誰にも頼らずに稼ぐための小さな職場。

 

 

 

 

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なんでも自由にできる静かなマンション。

 

 

と、私は答えた。

 

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80年代後半。
経済絶頂の最中、ふたりで始めたデザイン事務所の業績は上向いていた。
学生時代にふたりで話しをしていた南の島、中世の街、西海岸。
行きたい場所へ行って、見たいものを見て回った。

 

 

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       私は広いリビングでどうしてこうなったかを考えてみた。
       ふたりが殆ど無敵だった時代は過ぎていた。

       

       私はあの頃のようになんでも出来る気はしなくなっている。
       この世界はとても複雑になって、ことをなすのは難しくなった。
       以前にふたりが使っていたルールブックは無効になり

       築いた城は崩れ去っていた。

 

「あなたと一緒にいるために必要なものはなに?」、と亡霊に聞いてみる。

 

       今までにない新しい場所を準備する必要がある。

       新しい場所は誰にも壊せない。誰の手も届かないような場所にしよう。

       そして私は誰にも気づかれないように静かにことを運ぶ。
       深く、深く、誰にも見つからないような場所で。

 

 

この作品のどこが魅力的だったか

『SeaBed』は面白い?

 結論から言うと、この作品はとても好きだったし、自分にとっては面白かった。

合う人には間違いなく合う感じがするので、上の物語紹介にピンときたり、少しでも興味を持ったのなら是非プレイしてみてほしい。650円と12-13時間ばかりを費やして得られるものとしては破格のものがあるかと思う。とりあえず体験版もあるので、そこでテキストが合うかどうかだけでも確かめてみてほしい。

ともかく、この作品は自分でプレイしてみることが大事だと思う。なぜなら、頭の中で色々と組み立てたり、気が付いたりする面白さも確かにあるからだ。そして、そのための断片はあちこちに散りばめられている。2周目をプレイして初めて発見する事柄も多かった。

しかし、そのような面白さはこの作品の一端に過ぎないだろう。

 

説明しにくい面白さ

 多くの人が感想でも書きあぐねているように、この作品のどこが面白かったのかを正確に説明することは難しい。書こうとするとどうしても、作品全体の雰囲気や空気感が良いだとか、事実を淡々と述べていく描写が独特だとかになってしまう。その内容自体は正しいことではあるのだが、やはり如何ともしがたい。

そこでこの記事では、もう一歩立ち入って、一番魅力的だと思った部分をなんとか説明してみたいと思う。

 

積み重ねた年月の重さ

 まず、熱く滾る戦闘シーンがあるとか、最後に怒涛の伏線回収があるとか、ヒロインが可愛くて頭を空っぽにしても楽しめるとか、そういった分かりやすい面白さはこの作品にはない。「百合ミステリー」と銘打たれてはいるが、"ミステリー"要素は「なにか判然としない謎があって、なんとなくは判明する」くらいの意味である。普通"ミステリー"と言われて想像するものとは異なっているので、少し注意しておく必要がある。

 となると、一番の面白さといえば、やはり残った"百合"*1の部分になるのだろう。

佐知子と貴呼が一緒に積み重ねてきた23年間という重みをプレイヤーがダイレクトに受け止めざるを得ないこと、それがこの作品の一番の魅力であり、面白く感じた要因であると私は考える。

 

降りかかる出来事についてだけ考えてはいない

 『SeaBed』は、日常生活やその中でふと考えたり気が付いたりすることをかなりの文量で淡々と描写し、それにより日常を積み重ねている。そこに起伏はあまりなく、それ故「単調」と表されることも多い。

これは主人公である佐知子の客観的な性格に依るところが非常に大きい。意図的に単調にしているわけではない...とは思う。とはいえ、そのような落ち着いたタッチに膨大な文量を割き、取り留めもない日常を描写することで達成されている重大なことがある。

 それは、佐知子たちがリアルなキャラクターとして地に足のついた存在になっているということだ。

少し極端なことを言えば、物語の中では往々にして、作中で起こった出来事に対しての反応や感情だけしか描写されないし、基本的に物事は起こるべくして起こっている。物語を動かすために出来事が起こるのは当然のことであり、登場人物はいつも自身に降りかかっている困難について考え続けている*2

しかしながら、実際の人間は、フィクションの登場人物がするように、常に意味のある出来事が降りかかったり、そのことについてだけ考えているわけではない。むしろ、意味のあるような出来事は日常生活では稀だろう。昨日とあまり変わらない今日を過ごす中で、ふと外の景色を見て思うことであったり、ふとした折に思いついた物事について考えたりするのである。それが良くも悪くも現実に近いということなのだと思う。

 先程も述べたように、『SeaBed』は後者の描写にかなりのウェイトを置いている。それも、事実を淡々と連ねていくという落ち着いたものによってだ。それにより、この作品独特の雰囲気と、普通の物語の登場人物とは質の異なる"リアルさ"が醸し出されている。また、ぼやかしたような加工をした写真を背景として使用していたり、種々の細かい生活音までSEとして表現していることで、視覚的・聴覚的にも彼女たちの生活が鮮明に想起された。

そういった日常描写の積み重ねこそが、佐知子たちが地に足のついた存在であると我々に強く実感させている。しかも、その描写は佐知子や貴呼が楽しかった思い出を振り返るという形をとり二人が5歳から28歳に至るまでの23年間にも及ぶ。プレイヤーは、佐知子と貴呼が共に過ごしてきた年月の長さや重さに思いを馳せ、互いがいかに大切な存在だったかを否が応でも実感せざるを得ない。このようにして、佐知子と貴呼の関係性の深さがダイレクトに伝わってくるのである。

そして、「あぁ、佐知子は貴呼の為ならば"あんなこと"もきっと出来てしまうんだろうなぁ。」と素直に思わせる。思ってしまう。それこそが、この作品の一番の魅力にほかならないのだろう。

 

その他魅力的だったところ

・最初の方でも言ったように、本作は「百合ミステリー」ではあるが、普通"ミステリー"と聞いて期待できるような面白さがあるわけではない。とはいえ、"ミステリー要素"がこの作品に必要不可欠なものであったことは強調しておきたい。なぜなら、それが物語にきちんと組み込まれ、先述の佐知子と貴呼の関係性の深さを更に引き立てているからだ。そして、その要素が提示する世界観もとても魅力的であり、非常に良かった。

 

・作品全体を通じて80-90年代の空気感が想起され*3、そこからどことなく漂うノスタルジックな雰囲気も良かった。現代では使わないような古いものも登場しており、設定した年代の雰囲気をしっかりと伝えているように思う。

 

・90枚以上ものスチルが要所要所でしっかりと使われており、大切な場面を一層引き立てたり、間延びしがちな全体をぎゅっと引き締めたりしていた。丁寧に選定されたフリーのBGMや背景も全体の雰囲気にとてもよく合っており、終始作品世界に誘われるようだった。ビジュアルノベルとして非常に丁寧に作られていた印象で、完成度も高かったように思う。この世界にずっと浸っていたいと素直に思わされるような出来だった。

 

・どの登場人物も魅力的。佐知子と貴呼が一番好き。

・ 旅行をする。海外の色々なところに楽しそうに旅行をする。すき。

 

 

以下、致命的なネタバレがあるため、プレイ予定がある人は絶対に見ないで下さい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

舞台設定・登場人物・Tips

 

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 あちら側(療養所)

 恋人である貴呼が今際の際に「(死んだらどうなるか)知らない人(神)に決められるより、佐知子に決めて欲しい」と頼み、それを聞き入れた佐知子が貴呼を想い創った世界。

貴呼の世界がどれほどのものかは分からないが、この出来はどうだろうか。

ここはどこまでも拡大可能な世界、そしてあらゆる価値観を公平に内包出来る世界だった。

ー楢崎 響/『SeaBed』

楢崎は佐知子が幼少期に作った存在(イマジナリーフレンドのようなもの)なので、あちら側に行くことが出来る。また、これは想像だが、楢崎診療所を応用・発展させたものがあちら側(療養所)なのだと推測される。このように考えても別段不都合はないと思うし、色々と上手く説明出来る部分がある気がする。多分。

 

あちら側とは、ざっくり言えば、死に際の願いを聞き入れた佐知子が貴呼のために創った、二人しか居ない、内的世界・精神世界である。

 

成人女性の佐知子→繭子

少女としての佐知子→早苗

幼少期の佐知子→梢(B)

梢(B):髪飾りをプレゼントされて以降は、それを付けているかどうかで現実世界の梢(A)と見分けることが出来る。 

あちら側での貴呼と彼女らのやりとりは現実に起こったものではないが、23年の間で描かれていない場面において、似たような出来事があったり、似たような関係にあったかもしれないと想像させるものになっている。あちら側の世界をこのように設定したことで、二人が積み重ねてきた23年間の関係性に更に深みが出ており作品にきちんと組み込まれているところもよかった。

 

また、そういう意味では療養所の貴呼も創られた存在ではあるが、「佐知子の記憶の中の貴呼」と「貴呼本人」が合わさったものであり、なおかつ後者寄りなのだと思う。この部分については具体的な理由はないが、プレイした人なら素直に納得できる...気がする。

そのほうがロマンチックだし、文脈に沿うし、説明のつきやすいこともあるしで、別にいいかなぁと。あちら側は"貴呼が願って""佐知子が叶えた"ものなので勝手にそう信じている。

 

 

楢崎診療所

 これも佐知子の内的世界である。幼少期からの佐知子の記憶が保管され、楢崎が管理・記録しており、何か不具合があったときは楢崎が医者としての役割を果たし佐知子の診療を行う場所である。 

「TipsⅠ.楢崎診療所-008号室*4は、恐らく佐知子が8歳の時の記憶を保管していた部屋である。どの号室のものでも、"ここにあるものはなくなったり出てきたりする。消える瞬間は見たことがない。気がついたら無くなっている(楢崎)"らしく、部屋の中にあるものが記憶であることを示唆している。

TipsⅠ.楢崎診療所-208号室」は、28歳で貴呼が病死した直後に、そのショックから佐知子が診療所を訪れた当時の描写であると考えられる。

 「TipsⅠ.-寝室」:佐知子は、貴呼の死ぬ間際の願いを思い出す。

→「浴室」:佐知子は水に濡れ、氷のように冷たくなっている。これは、「深く、深く、誰にも見つからないような場所*5で、今までにない新しい場所=あちら側、を準備している」からだと思われる。その際、貴呼に関する記憶の一部を(貴呼の創造に必要なのか)持ち出しているため、日記から一部分が消え去っている。

「宿直室」:佐知子が楢崎診療所から消え去り、日記は白紙となっている。恐らく、佐知子が日記の中の記憶をすべて「あちら側」に持ち出し、その結果佐知子が記憶喪失となったことを意味するのだろう。このタイミングで佐知子は、誰にも気づかれないように静かに、着々とあちら側を作っている。(しかし、完成はしていないと思う。療養所は七重の旅館に似ているし、梢(B)とかは後になってからじゃないと出てこない。「序章-哲学者」においても、"今からキミが挑戦しようとしていること(あちら側の創造)に凄く興味がある"とも言われている。)

 

 

楢崎 響

 楢崎の正体は、佐知子が幼少期に作った存在(イマジナリーフレンドのようなもの)である。貴呼とお医者さんごっこ遊びをする時に使っていた人形が、楢崎の原型なのだろう。

 

 「こちら側」での楢崎視点の話は、基本的に佐知子の身体で楢崎が行動している、と解釈すると辻褄の合う記述が多い。

佐知子視点ではあまり図書館に行っていないのに七重から"図書館でよく見る"と言われたり、楢崎視点の時に梢(A)に持ってきてもらうよう頼んだ本を梢(A)が佐知子の部屋に持ってきたり、療養所での一日の記憶がまるまる無かったり(楢崎とチェスをした辺り)などである。

恐らく、二人とも意識が有るときと、片方の意識しか無く記憶が飛んでいる時とがあるのだろう。この辺りのことは、作中に出てきた半球睡眠の話に対応しているような気もする。第六章でリリィさんに”半分”とも言われていたし、リリィさんと恐らく梢(A)もこのことに気がついていた節がある。

また「序章-定期検診」においても、休養のため旅館に行く旨を楢崎が代わりに七重へ電話していたと考えられる。佐知子は七重に連絡したことを覚えておらず、七重の連絡先は旅行鞄に入れっぱなしで放置されていたので、そうなると記憶を管理してる楢崎以外連絡先が分からないことが理由になる。まだ佐知子が旅館に行っていない段階での出来事なので、そういう意味でも面白いと思った。

他にも色々と佐知子が自分の行動を忘れているところがあるが、これも楢崎が代わりに身体を操作していた時ではないかと思う。佐知子が幼少期の貴呼と共に洞窟*6へ迷い込んだ時に、”ここにずっと居たかったらそうできる。意識は戻らなくてもいつも通りのことができる。後のことは上手くやれる。"と楢崎から言われるが、これも楢崎が佐知子の身体を代わりに動かすのだとすれば、すんなりと納得できるだろう。

 

 「あちら側」においての楢崎は、佐知子の日記を貴呼に届けたり、物忘れについての話を貴呼にしたり、鍵を貴呼に渡したりと積極的に行動していたが、それは貴呼に記憶を持たせるため、つまり、佐知子のバラバラになった貴呼の思い出をひとつにまとめるためだった。(「終章:四つ葉のクローバー」より)

楢崎はそれが佐知子の治療のために必要なことだと考え、その役割を果たすために行動していたのだろう。

 

 

 坂 七重

 七重の正体は、娘が死んでしまったことを受け入れられず、自分のことをその死んだ娘だと思い込んでいる母親(死んだ娘の母)である。なので、作中に出てくる七重の本当の名前は美紀になる。

以降、作中に出てくる七重、つまり美紀のことを「七重A」とし、死んだ娘の方を「七重B」とする。

あまりはっきりとは書かれていないが、「TipsⅡ.二度目の旅」「第四章:繋がる合わさる-小母さんの話」や、特に「第6章:遠くに向かう電車-忠告」が根拠になる。あと、リリィさんが"(七重Aの母の代だとすると)妙に若く見える"と描写されているのもある。

 

この事とリリィ視点の話であることを踏まえて「TipsⅡ.二度目の旅」を読むと、その文意が通じるのではないかと思う。

以前そこにいた友人はもういない。とは言っても彼女は死んだわけではない。

ただ、あるとき私との思い出の記憶を無くしてしまったのだ。それもおそらく意図的に。今でも私にはその理由が理解できないままだ。

私は小さい頃から彼女のことを知っていた。確かに彼女には少し変わったところがあったが、私の知る限り彼女の性格ではどのようにしてもそんな事になるとは思えなかった。

 

-明井 百合香(リリィ)/「TipsⅡ.二度目の旅-二度目の旅の果てに」

 

ついでと言っては何だが、「TipsⅡ.二度目の旅-ランドスケープイマージョン」についても少し触れておきたい。ランドスケープ(landscape)とは土地とその風景、イマージョン(immersion)とは浸すことを意味する。なので、リリィが今はもう居なくなってしまった美紀と一緒に行った"場所"を巡るなかで、美紀に思いを馳せ"浸っている"ような感じを指しているのではないかなと思う。上手く説明できないので、ふんわりとなんとなくでも伝わっていればそれでいいです。

 

 

 正直な所、七重Aが実は美紀であることは非常にわかりづらくなっている。

これは単に描写が曖昧ではっきりと書かれていないこともあるが、まだプレイヤーに情報が殆ど無い段階である「第二章:丘の上の洋館-古い写真」でのミスリードも大きいように思う。

ここでは、本当は美紀(七重A)が娘(七重B)とリリィと映っているモノクロ写真が出てくる。

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しかし、自分が七重Bだと思い込んでいる七重Aは、写真の赤子を指して自分だと佐知子に言う。しかも写真がモノクロであるため、恰もこれが古いものであると錯覚し、それが正しいと自然に認識してしまう。(というか、第二章の段階では疑う余地がない。ミスリードにしてもやりすぎなのではないかと思う。)その結果、プレイヤーは一世代ズレて認識してしまうのである。

モノクロ写真であることのカラクリは、作中でそれとなく明かされる。

「第6章:遠くに向かう電者-濁った水」において、井戸の前で梢(A)と佐知子が会話するシーンがある。その時に梢(A)が持っている6年前の井戸の写真がモノクロである。つまり、写真がモノクロだからといって、必ずしも昔に撮られたことを意味しない。そして6年前という時期は、美紀(七重A)が娘(七重B)を失った頃と一致する。また、佐知子が井戸へ向かうシーンの少し前「第六章-朝食と好物」に、"それから、小さい頃の七重の写真と井戸の写真を順番にみていく。何枚目かの幼い七重の写真を見ているときに、何かが頭に引っかかった。"という描写があるのも、多分そういうことなのだろう。

 

受け入れないという選択肢

 では、なぜ七重をこのような設定にしたのだろうか。

それは恐らく、大切な人間の死を受け入れないままでいる、という選択肢もあることを提示するためだと思う。

「6章-洞窟」辺りにおいて、佐知子は幼少期の貴呼とともに洞窟に迷い込む。助けに来た楢崎は、「あちら側」の思い出の中、あるいは療養所で貴呼とともに暮らし続ける選択肢もあると佐知子に提案している。

この選択肢を選んだところで、別にそれ程悪いことでもないだろう。

なぜなら、楢崎が日常生活に支障がないように佐知子の身体を動かしてくれるわけであるし、実際、七重Aはそのような選択肢を取っている。自身が美紀であることを忘れ七重Bだと思い込んでいるが、七重Aは楽しそうに生きているし、生活に大きな困難を抱えているようでもない。リリィを悲しませているという問題があるにせよ、七重A自身のことだけを考えればやはり特に支障は無さそうである。

受け入れないという選択肢も、確かにあり得べきものとして作中では描かれている。

 しかし、佐知子はそれを選ばなかった。最終的に貴呼の死を受け入れ、楽しかった思い出は消えるわけではないことを認識し、それを糧にして生きるわけである。

それと対比される役割が、七重のこの設定にはあったのだと思う。

 

七重は貴呼に似ている

 七重は貴呼と似ている。性格と行動と考え方と、それと容姿も少し。

それは、「佐知子に貴呼のことを想起させ症状を悪化させる(6章のような状況に陥らせる)」という物語上の役割があったからだと考えられる。

「序章-定期検診」において楢崎は、出来るなら貴呼のことを思い出させるものの無いところに旅行するのが症状の改善に良いと言っており、「第二章-扉の前」において、佐知子は貴呼からの貰いものである櫛と椿油を使用し、その後すぐ幻覚を見ている。

確かに、貴呼のことを想起させるものは佐知子の症状を悪化させる方向に働いており、恐らく七重にも十分にその機能があったと考えられる。七重が佐知子に迫るシーンが有ったが、これも貴呼が恋人であることを想起させるものだ。この部分については、(七重に応じないことで)"佐知子には貴呼しかいない"ということを提示しようとしたともとれなくはないが、その目的なのであれば二人の関係性をきちんと描けている本作においては特に必要性を感じなかった。

 

 

佐藤 梢

  こちら側」の梢(A)は実際に存在している人物であり、「あちら側」の梢は佐知子が(梢Aを見てから)創ったものだと考えている。梢(B)が梢(A)と瓜二つなのはそのためではないだろうか。現実世界で梢と会う→容姿が小さい頃の佐知子と似ていた→それを受けて「あちら側」の幼少期佐知子が創られ、当然それに引っ張られた、という感じで。この部分は作中に根拠が何もないので完全に想像です。

こちら側」の梢(A)が実在していると思った理由は、梢がリリィの伝手で建築事務所見学をする話において、梢が実在しないとリリィの発言が不自然になってしまうことや、佐知子が梢(A)からもらったペンギンの玩具がちゃんと残っていることなどがある。リリィも実在しなければ事務所の件は説明が付きはするが、8章において楢崎が"ここ(あちら側)には小母さんや梢はいない"と言っているので恐らくリリィも梢も実在する。

 また、「あちら側」の梢(B)だけが、貴呼からのプレゼントである四葉のヘアピンをしている。例えば、「第五章:水槽の猫-梢のなくしもの」と「第六章:遠くに向かう電車-濁った水」を比べてみれば良い。

こういうさりげない情報提示の仕方もビジュアルノベルらしさがあって好みです

 

 

文・犬飼

クローバーデザイン事務所の従業員であり、言うまでもなく実際に存在する。

 

彼・彼女らの事務所でのやりとりは全体的にテンポが良くて好きでした。 

貴呼が飴玉をポリポリと噛むシーンが一番印象に残っています。

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この部分のコミカルな動きを感じさせる演出に感心した覚えがあります。

淡々とした描写が続くのであまり動きが少ない分、何をしでかすのか予想がつかない貴呼の行動はついつい見入ってしまうことが多かったですね。

 

 

 

感想

『SeaBed』で一番好きだったところ

 それは、「佐知子と貴呼が積み重ねてきた23年の年月とその関係性をダイレクトに感じられたこと」と「"楽しかった思い出は消えるわけではない"というテーマ」になる。

前者については、2節『この作品のどこが魅力的だったか』でも書いたが、「あぁ、佐知子は貴呼の為ならば"あちら側を創る"なんてこともきっと出来てしまうんだろうなぁ。」と素直に納得させるだけの関係性を、この作品全体を通じて描写できていたところが本当によかったと感じた。

 

 

 楽しかった思い出は消えるわけではない

 かなり短く纏めると『SeaBed』は、佐知子が長年連れ添った恋人の死を受け入れる過程を描いた作品になるのだろう。七重Aのように大切な人の死を受け入れず生きるという選択肢もあったが、最後には貴呼との離別を乗り越える。その直接的なシーンが「終章:四つ葉のクローバー -電話」にあたる。

佐知子と貴呼は、この電話で死別以来初めて言葉を交わしたわけであるが、その割にはなんでもなかったかのように、楽しかった思い出や近況について淡々と語り合う。そして最後には次のような別れの言葉を交わす。

幸せな日々だったわね」

『これからもね』

私が貴呼の名前を呼ぶと『うん』と貴呼が返事をした。

「・・・さよならね」

『うん、さようなら、サチ』

しばらく回線の途切れた音を聞いていた。

受話器を置くとチン、と短く高い音がした。

 

-「終章-電話」

そして、最後のシーンには次のような台詞がある。 

でも、私にとっては、あの人といた時間だけが、時を経ても変わらずに輝いている。それはどんなに辛い時でも、私を励まして支えてくれる。そのおかげで私はもうふらつく事もないし、今度は、この思いを伝えて誰かの支えになりたいって思うわ

 

-水野 佐知子/「終章-旅立ち」

彼女たちはもう二度と会うことはない。しかし、二人で一緒に過ごした頃の楽しかった思い出は消えるわけではなく、今なお色褪せずに輝き続けている。そして、それは佐知子にとって生きる糧になっているのである。貴呼にとってもそうなのだろう。佐知子に約束した通り、最後は繭子(=佐知子)を連れ旅に出るシーンでこの作品は終わる。

 彼女たちは、楽しかった思い出は消えるわけではない、ということを、記憶を振り返る過程の中で実感し、前向きに受け入れた。そして、それはプレイヤーにとっても説得力のあるものになっているように思う

「思い出や考えは時間の経過や死によって消えてしまうわけではない」というテーマは、作中において度々登場している。エピソードで言えば、「序章-南の島」での星の光の話や、「序章-哲学者」での話などがある。また、「あちら側の世界」の存在そのものがそれの極致のようなものであることも強調しておきたい。「あちら側」は、やはりこの作品のいちばん大事なところに関わっていているのである。

 

 

 自分は、昔プレイして楽しかった作品を振り返っていると、"今プレイしても楽しめないんだろうな”という思いや、えも言われぬ郷愁や物寂しさ、それを高評価していることへの少しの気恥ずかしさに襲われる時がある。こういった感情に対し、「その時に楽しかったことは嘘ではないし、その当時にそう思った事実は残り続ける」という主張を『SeaBed』は与えてくれる。

なんというか、今を楽しめばそれでいいと背中を押してくれているような気がして、それだけで少し救われた気分になる。随分と勝手なので伝わる訳がないだろうが、それでも自分がこの作品を大切に思う大きな理由の一つだ。

 

 

その他

よく分からなかった部分や解決していないこと

・美紀が居なくなってしまう前に見ていた蒼い蝶について。貴呼も同様の蝶と思われるものを見ているスチルがあるが、この蝶は結局何だったのだろう。

・多くの人が指摘しているように、年代が合わないという問題がある。物語紹介では”80年代後半に事務所を始めた”とあるが、作中の情報と整合性がない。本筋には関係ないのでどうでもいいことではある。

・「序章-ニュース」で、南国の島でボート転覆し邦人2名が行方不明になった事件が出てくるが、伏線っぽいのに特に意味はなさそう?

・「フワリンベン」って何?

・沢渡アンネリースって何者?

 

不満点、改善して欲しいこと

パッケージ版でプレイしたのでDL版では起こらないかもしれない。

・演出が遅いのにスキップできない。大事なところを読み返したいのになかなか辿り着かなかった。章選択の機能を使った際も何回もタイトル画面に戻るを選択したが、タイトル画面を出す際も少し時間がかかり、じれったかった。

・セーブできる数が5なのは少ない。大事な部分をピンポイントにセーブしておけないのが不便だった。演出スキップのほうが実装してほしいけれど。

・"gallery"機能での再現性のあるバグ。2ページ目の最下行左から2列目にある例のモノクロ写真を見ようとすると、エラーが出て強制終了せざるを得ない。

 

 

その他、感じたこと

 ・プレイをしていて、設定が似ているなぁと思った作品が一つある。『SeaBed』のような設定のゲームは色々とあるのかもしれないが、作品名を出すこと自体が重大なネタバレになってしまうので、ここでは反転文字で書いておく。

そのノベルゲームをプレイしたことが無いと思う人は、ネタバレを踏まないためにもこの部分は読み飛ばしてほしい。

 

ーーーーー反転ここからーーーーー

その作品とは『書淫、或いは失われた夢の物語。』である。これは、「雪山で一緒に遭難し怪我を負った恋人の"真剣な願い"を聞き入れ、その肉を裂き食べることで生き残った主人公が、深いトラウマを抱えぶっ壊れ、そのことを忘れて自分の内的世界に引きこり、そこで恋人と生きる話」である。こっちも医者の介入やらなんやらがあり、最終的には事実を思い出すのであるが、結局現実には帰ってこない(はず)。

 わざわざこの作品を持ち出して何が言いたいのかというと、『書淫』が強烈な出来事でもって内的世界を創るという大それたことを納得させているのに対し、『SeaBed』は二人の関係性を丁寧に重みを持たせて描くことでそれを納得させている、という点である。(念のためではあるが、”どちらの方が良いか”については一切言及していないことを一応断っておきたい。)

書淫と比べると、二人の死別は、どうしようもなく悲劇的な出来事から起こる物語的なものではなかったように思う。しかしそれにも関わらず、「あぁ、佐知子は貴呼の為ならば"あちら側を創る"なんてこともきっと出来てしまうんだろうなぁ。」と素直に納得させられるだけの関係性をしっかりと描けていたことが、やはりこの作品の本当によかった部分だと思う。

ーーーーー反転ここまでーーーーー

 

あと、繭子と貴呼が「あちら側」の花壇で一緒に植えていたのが”プリムラ”だったのもすきだった。

 

おわり。

*1:百合について全く造詣が深くないので、言葉の指すニュアンスが異なっているかもしれない。

*2:物語を動かすような出来事以外があまり描写されない以上、少なくともプレイヤーからはそのように見えてしまう部分もあるだろう。

*3:その年代の生活は知らないのに想起されたのも凄いところだと思う。

*4:"この部屋は物置になってかれこれ十年以上経過している"
との記述があり、008号室が「佐知子が8才の時の記憶の保管部屋→貴呼関連の記憶の保管場所」に変遷していると考えられる。貴呼が小6で作った陶器等があるのもそのためだろう。

*5:比喩としての海底なのだろう。

*6:「あちら側」と「こちら側」の中間点のような場所だと思われる。