一二三四五六七

その時に感じたことを書きたいです。

エビフライ

大好きな美少女ゲーム声優の一人に桐谷華さんがいます。エビフライが大好物というのは有名であり、その好きさ具合はTwitterアイコンを🍤の画像にしていることからも大変伝わってきます。

 🍤を見ただけでこんな感じですからね。「ふんふんふん!」ってテンション上がってるのが容易に想像できて微笑ましいです。

そんな桐谷さんが、エビフライを食べたらきっとこういう感じなんでしょうね。

「外の衣はすっごいサックサクなのに!中はぷりっとしてて、とってもおいしゅうございます~!おいしい...おいしいなぁ( ´ ▽ ` )作ってくれた人、ありがとうございますヽ(´∀`)ノ」

美味しさも、本人が幸福そうだという気持ちも、よく伝わってくる感想だとは思いませんか?こういうのが世間一般でいうところの「感想」なんだと思ってます。

(オタクが勝手に考えて勝手に言わせていることの気持ち悪さはここでは置いておきます。)

 

 ところで、自分は「感想」を書くのがとても下手です。すごい苦手意識があります。だから「感想」を書く努力をしてみるブログを始めたわけなんですけどね。

なんというか、例えばゲームをプレイした時にいざ感想を書こうとすると、「思ったこと」というよりも、「考えたこと」であったり、物語構成などの「事実」を書くことに終止してしまうみたいです。

 

極端な話、先のエビフライでいえば、

「このエビフライ、外は衣!中はえび!おいしかった!」

「衣は▲▲産の小麦粉だからこんな特徴があって~~、海老は△△の海で採れたやつだから~~

みたいになるわけですよ。

 

ひとつ前の『祝姫』の記事もそうなんですが、大部分がこんな感じになっちゃってました。

 

いや、自覚してるんなら意識して「感想」を書けよって話なんですけど、どうやら自分にとって「思ったこと」は「考えたこと」と比べてそこまで強く書きたいという気持ちが湧くものではないらしいんですよね。

まぁ、「思ったこと」を思うままに書いたら、前後の繋がりが無さ過ぎて読むに耐えないシロモノが出来上がってしまって、それが自分で納得出来ないというのが一番大きな理由っぽいんですけど。

 

上手い感想を書く人たちが、どういうことを「思って」そういったものを書いているのか凄い気になります。もしかして、そういう事を「考えている」時点で駄目なんですかね?

実のところ、「感想」ではなく「事実(っぽいもの)」に終止してしまい悩んでいる人は他にも割りといるんじゃないかと希望的観測を述べたところで、今回は筆を擱きたいと思います。

 

終わりです。

 

『祝姫』感想

「祝姫(非18禁) (DMM) (2016-01-29)」メッセージ既読数100%

 プレイ中には没入が阻害された要因もあって(完全に自分のせい)、周りが絶賛するほどか?とか思っていたんですけど、色々書くために設定とか丁寧に整理していくと筋の通った納得の行く説明が自分の中で出来たので、プレイ後の今は結構良かったなぁと思っています。

序盤から中盤、だいたい6章辺りまでは「声優さんの演技すごいな~~これからどうなるんだろう?ワクワク(*´ω`*)今のところ80点だけど以降の展開では85以上もあり得るぞ~~楽しみ~」って感じでした。

それ以降は「ふむふむ、現実で起こっている問題が、序盤の霊障で示唆されていて、それを回収していく感じなのか。ひぐらしでいう出題編→解答編みたいな流れみたいだな~。扱う問題も想像以上に重いところがあって、結構心が抉られる!」という感じでした。

自分にとって強烈に刺さるような+αがなかったので、記憶には残るけれども記念には残らなかったという印象です。グロとか生理的嫌悪感を抱くようなものが苦手というのもありましたね。

 

さて、今回は「全体の構成」について書いていきたいと思います。

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前半で提示された物語群が後半の展開や問題を示唆、象徴していたというオーソドックスな構成です。

「04.痕姫」が途中に挿入され、「06,07,08」は順不同であったので、どれがどれに対応するのか少し分かり難くなっていたように感じました。(最初01ではなくが04が椿子に対応しているのかと思い混乱していた。)

 霊障で白昼夢を見せるという作中の設定を利用して、複数の物語を提示する以上抱えざるを得ないパラレル性を上手く回避して、一つの現実世界として通していたのには少し感心しました。

同じ作者の作品である「ひぐらし」だと平行世界を用いてたんで構成的には一緒なんですけどね。(基本的にこの類の構成は夢や記憶やループや並行世界で達成することが多く、今回は夢に当たるのだが、そのような物語を提示する夢を見るきちんとした理由が、霊障という「煤」に強く関連する設定で与えられていたのが良かった。)

 それでも、「04.痕姫-10.シャチホコ・グレートデイズ」の存在意義が薄かったり、上の画像の線の対応がぐちゃぐちゃなので綺麗になるように番号配置したほうが良かったなぁと思ったりと、隔靴掻痒の感があるのは否めないかなぁと

そういうところも詰まっていると自分にとってかなりプラスになり得たので、ちょっと惜しかったです。

あ、後、せっかく声優さんの演技が凄いのに、2016年のゲームにも関わらずボイスカットオフ機能がないのはかなり不便でした。次回作があれば必ず実装して欲しいです。

 

((本当は「呪いの煤」の設定についてプレイ中に気になってしまって没入しきれなかったんですよね。プレイ後に頑張ってバックログ調べてスクショ撮って自分なりに纏めたら、作中で提示されていた情報から気になった部分に納得の行く解釈が出来たので、長々と書いていたのがあえなく没になりました。悲しい。))

 

2016/8/22 追記

・椿子ルートについて

『祝姫』では、序盤の物語群は白昼夢のなか不可解なままで終わってしまうが、実はそれが各ヒロインの抱える現実世界での問題を象徴していた、という構造になっており、これは各ヒロイン√をプレイした時点で明らかになります。

(前半プレイ時には夢か現実かの判断が完全にはつかず、各物語が劇的な終わり方をするので、章ごとの繋がりが唐突でぶつ切りになっていたように感じてしまったのは自分だけでしょうか...)

いま、対応の例を挙げると

鼎√:「02.幻姫」↔「06.鼎」

莉里杏√:「03.歌姫」↔「07.莉里杏」

であり、この2人についてはプレイした人にはすぐ納得してもらえると思います。

 さて問題なのは、椿子についてです。いろいろな感想に目を通させてもらいましたが、この椿子√の対応については不鮮明だとかよく分からないという意見がぽつぽつありました。

全くもってその通りだと自分も感じたので、どういう要因で分かり難くなっているのかについて少し説明を試みてみようと思います。

 

・椿子:「01.呪姫」↔「08.椿子」の対応が分かりにくい理由

一番の要因は、他の√では主に一つのことを象徴していたのに対して、椿子の√では主に2つのことを象徴していたことになるかと思います。その2つのこととは、

①椿子が幼女時代にパパおじさんからされた仕打ち 

②涼のお嫁さんになりたいという夢があること

です。これらが複合的に絡み合っており、「01.呪姫」が一番最初に置かれていたり、「04.痕姫」の存在することもあって、分かりにくさに拍車をかけています。

また、「01.呪姫」において以下のことを前提としたいです。

ⅰ.「01.呪姫」は椿子が霊障を受けて見た白昼夢である。

ⅱ.椿子は現実世界において、①の記憶を封印していた。

 

・①について

単に①を意味したいのであれば、「01.呪姫」において風呂場で怪物に嬲られていた人形の顔は椿子でよかったはずです。しかし、実際にやられていたのは十重でした。

これは、「01.呪姫」の時点において椿子がこの仕打ちを記憶から封印していた(ⅱ)以上椿子であってはならないのでやむを得ません。

では、なぜ十重だったのでしょうか?これは、「01.呪姫」が最初の章であり十重しか他にいなかったから、というのもあるでしょうが、②にも無関係ではないと思います。

 

・② について

「01.呪姫」が椿子を苦しめるような内容の白昼夢である(ⅰ)ので、②の夢が叶わない、つまり、椿子が複数回忠告したのにも関わらず涼が他の女に取られてしまう展開になるのは自然なことだと思います。

この時、他のヒロインが「01.呪姫」の主眼となる必要があり、これが最初の物語である「01.呪姫」で成されていることにより、「01.呪姫」が椿子の話であるということを一層分かり難くさせているように感じます。

(自分もはじめは『「01.呪姫」=十重の話or単なる導入』だと考えていました。)

また、作品冒頭の右も左もわからない状態で十重にスポットライトを当てることで、十重=メインヒロイン感をプレイヤーに与える効果もあったかと思います。

 

・結局の構図

「椿子は記憶を封印しているので嬲られるのは椿子以外の必要がある(①)」↔『「01.呪姫」は椿子の物語だが主眼は十重』↔「悪夢なので椿子以外のヒロインが涼と結ばれんとする(②)」

 

 つまり、「01.呪姫」において主眼を十重に置き、そのことをハブとして①と②の2つことを象徴していたということが、椿子√の対応を分かりづらくさせていた要因ではないかなと。

まぁ個人的には一つの物語で2つのことを意味するのは上手いなと思うんですけどね。

 

終わりです。

 

 

 

 

<(>ω<)>

<(>ω<)>「よーし、今日もびりっとがんばるぞーっ!」

(『車輪の国、向日葵の少女』:三ッ廣 さち)

彼女が背負った義務を思うと、今日という日は今日しかないからこそ今日を精一杯頑張ろう、というメッセージだとも取れる。世間にはこの類のものが溢れているが、なんだかちょっとやる気が出てくる。自分にとってはそんな言葉だ。

 

『明日できることは今日やらない』という格言がある。

個人的にこの言葉はかなり好きであり、座右の銘を聞かれた場合はこれを答えようかなと密かに思っていたほどだ。「今日やるべきことは、今日やれるだけやっても終わらないほど多い。だから、今日しかできないことは今日やろう!」という意味だ。どこかで勝手に知って、一人で勝手に納得していた。

 

今日、ひょんなきっかけがありこの言葉について調べてみた。すると、「明日できることは後回しにして今日はもう休んだらよい」というスローライフを推奨するような格言であったことが判明した。

 

なんというかこのオタク、一人で勝手に納得して一人でうんうんいい言葉だ、なんて頷いてたというね。まぁそんなこと気にせず、自分は自分の解釈でこれからも生きていくことにします。

 

「今日できることは今日する」のか「明日できることは今日やらない」のか「明日することを今日する」のか、どれが良いのかは分からないが、とりあえず今日はブログが書けた。

あーだこーだ言っているうちに、今日がまた終わる時間らしい。明日の今日もなんとか頑張りたい。

 

終わり。

『さくらむすび』感想

さくらむすび(CUFFS) (2005-08-05)」を全ルートクリアしました。

前々から友人に強く強く勧められていてやるやる詐欺をしていたので、漸くコンプ出来て一安心です。どれくらいの間名前に「さくらむすび」という文字列が含まれていたのか、もう思い出せません。

「面白かったか」と聞かれると、間違いなく「よかった」と答えられるような作品でした。確かに「よかった」のですが、全√をクリアした後に”不気味”という感覚が一番強く残っているという不思議な経験もしました。その理由は後に書くとして、まず初めてトノイケ作品をプレイして感じた特徴からいきます。 

全編にわたって思春期の不安定で繊細な感情が特徴的かつ丁寧に描かれており、自分の物のように納得できるくらいじくじくと刺さりましたね。

ボイス無しかつ演出も殆ど無しなのですが、作品世界に深く没入できました。撫でるようなタッチで優しく描かれるやりとりは実に心地よく、でもそれ自体は軽妙でテンポ感もあり、と会話の中でキャラクター達の距離感や感情がよく表現されていたように感じます。

優しい世界の中で、可愛らしくいじらしいヒロイン達との心地よい距離感とやりとりが楽しめる、それだけでもう十分に魅力的なものでした。月並みですが、プレイしてよかったです。満足です。

 ちなみに、可憐-桜(True-Happy)-紅葉の順でプレイしました。一番印象に残ったルートは桜Trueで、一番好きなキャラは可憐ちゃんですね。

可憐ちゃんはもうね、むっちゃいじらしくて可愛らしい。ガチ泣きしました。自分にとって、とっても人間らしかったです。推察される裏設定とか知らない段階からずっと1位です。

どのキャラが一番好きかはこれは完全に好みの問題なのですが、どのキャラがその人にとって1位であっても素直に頷ける、そんな印象です。

 では、それほど優しい世界なのになぜ"不気味"に感じたのか、ということについてちょっと書いていきます。

直接的な理由は、紅葉√を最後にやったからでしょう。

散髪の告白のシーンとか、本当に最高でしたよ。でも、他の√だと終盤に色々あったのに、紅葉√の終盤ではそれが全くない。

作中の言葉「化け物」を用いれば、「化け物」についての扱いが殆ど無く終わるということで、『さくらむすび』に横たわっている明確には明かされないなにかを強く意識させられた結果、空恐ろしさがまんま残ったのでしょうね。

大事なのは、この作品では何か重大な物事が明かされないままになっており、またそれに関して匂わせる描写が多々あることで気味の悪さをどこかで覚えたままになっている、ということです。

「繊細な心情描写で感情を学びつつ、優しい世界でいちゃいちゃを楽しめればそれでいい」というのは一つの大正解だと思いますが、まぁ可憐ルートに関しては、不気味に思わせるような隠された何かについてある程度納得できる話があったので、それだけ書いておきたいと思います。

こんなことは注意しておくまでもないでしょうけど、あくまで自分の解釈というか、自分の中では正しいと思っていることなので、そう思って適当に読んで下さい。

 

・金村世津子は部落(川向こう)ないし在日(外国人のような容貌と記述)、もしくはその両方であり、差別の対象であった。

作中でも言いづらい身分の差のようなものとして言及があるので、これはいいでしょう。部落か在日かは、なんというかぼかされていて、わざとどっちとも取れるようにしたという印象を受けました。

 

・可憐は光博と世津子の子供であり、圭吾と異父兄妹である。

これは作中では一切明示されていないですが、非常に説得力のある設定だと思います。

邦彦がどうして瀬良家に養子として迎えられたのかもこれで説明がつきますね。ちょうど楓が不義理の子である圭吾に耐えられず桜を養子にしたように、不義理の子である可憐に瀬良母が耐えられなかったんでしょう。

加えて、この上の設定でやっと腑に落ちたことがあります。それは、圭吾と可憐が付き合うことに光博が非常に強く反対したり、邦彦が強く忠告したりした理由です。

「圭吾の生まれの卑しさだけでこんなに強く反対されるものか?」という違和感がプレイ中にはあったので、これがストンと上手く説明される設定には素直に驚きました。少なくともこの2人に関しては、二段階の反対する理由があったのだろうと思います。

 

邦彦は圭吾と可憐が異父兄妹だということに当たりをつけていた。

養子として迎え入れられた邦彦だからこそ、その理由について敏感に感じ取らざるを得なかったのかなと。異父兄妹ということを知っているということにすればうまく説明のいく言動があるというのもありますね。

個人的な推測ですが、可憐ちゃんが家から持ってきた台本の内容で確信まで至ったのではないかと思っています。

可憐ちゃんについてですが、これは気が付いていたか分からないです。個人的には気がついていなかったんじゃないかと思いますが、気が付いていたとしても桜との教室でのあのやりとりに深みが増すのでいいかな~と。

 

・桜と可憐の対称性

{兄:圭吾(世津子の息子)、妹:桜(養子)}

{兄:邦彦(養子)、妹:可憐(世津子の娘)}

桜←圭吾と実妹だと思っていたが、実妹ではなかった。*1

可憐←圭吾と赤の他人だと思っていたが、実は実妹だった。

 

なんか綺麗だなと思いました。

 

以上です。

さくらむすび」の象徴するものや、作品自体のテーマとかは、プレイしたその人が感じたものそのままで良いと思っているので、特には書きませんでした。

*1:自分は桜と紅葉が実姉妹説を支持するので、可憐と桜が双子説は今回は無視します。

はし書き

字数制限のあるSNSに書ききれない内容をブログで語るような流れを色々なところで目にし、周りの人達もつらつらと書くようになってきたので、自分もブログを始めてみようと思いました。

時間を割いてでもやろうやろうと前々から思っていた理由は2つくらいあります。

まず1つ目は、バナーキャンペーンに参加したいという即物的な理由です。他の人が豪華な一点もののグッズに当選してるのを見て、羨ましいな~という気持ちです。これから一つぐらい当たれば御の字ですね。

2つ目は、感想を書くのが絶望的に下手なのでその練習がしたいからです。いざ感想を書こうとすると、感想が書けないくらいに苦手です。寄稿できる場を与えてもらっているので、努力くらいはしてみようと、そういう感じの心持ちです。一人でシコシコ書いていてもしょうがないので、他人の目に触れるような形にはしたいというのもあって、ブログなら知り合いからそう外れない範囲の人しか見ないかな~という甘えた考え。

 

気負うこと無く自由気儘に、その時に書きたいと思ったことが書ければいいですね。

見られるものだけど見られてはいない、そのくらいの軽い態度でやっていきたいです。