一二三四五六七

その時に感じたことを書きたいです。

<(>ω<)>

<(>ω<)>「よーし、今日もびりっとがんばるぞーっ!」

(『車輪の国、向日葵の少女』:三ッ廣 さち)

彼女が背負った義務を思うと、今日という日は今日しかないからこそ今日を精一杯頑張ろう、というメッセージだとも取れる。世間にはこの類のものが溢れているが、なんだかちょっとやる気が出てくる。自分にとってはそんな言葉だ。

 

『明日できることは今日やらない』という格言がある。

個人的にこの言葉はかなり好きであり、座右の銘を聞かれた場合はこれを答えようかなと密かに思っていたほどだ。「今日やるべきことは、今日やれるだけやっても終わらないほど多い。だから、今日しかできないことは今日やろう!」という意味だ。どこかで勝手に知って、一人で勝手に納得していた。

 

今日、ひょんなきっかけがありこの言葉について調べてみた。すると、「明日できることは後回しにして今日はもう休んだらよい」というスローライフを推奨するような格言であったことが判明した。

 

なんというかこのオタク、一人で勝手に納得して一人でうんうんいい言葉だ、なんて頷いてたというね。まぁそんなこと気にせず、自分は自分の解釈でこれからも生きていくことにします。

 

「今日できることは今日する」のか「明日できることは今日やらない」のか「明日することを今日する」のか、どれが良いのかは分からないが、とりあえず今日はブログが書けた。

あーだこーだ言っているうちに、今日がまた終わる時間らしい。明日の今日もなんとか頑張りたい。

 

終わり。

『さくらむすび』感想

さくらむすび(CUFFS) (2005-08-05)」を全ルートクリアしました。

前々から友人に強く強く勧められていてやるやる詐欺をしていたので、漸くコンプ出来て一安心です。どれくらいの間名前に「さくらむすび」という文字列が含まれていたのか、もう思い出せません。

「面白かったか」と聞かれると、間違いなく「よかった」と答えられるような作品でした。確かに「よかった」のですが、全√をクリアした後に”不気味”という感覚が一番強く残っているという不思議な経験もしました。その理由は後に書くとして、まず初めてトノイケ作品をプレイして感じた特徴からいきます。 

全編にわたって思春期の不安定で繊細な感情が特徴的かつ丁寧に描かれており、自分の物のように納得できるくらいじくじくと刺さりましたね。

ボイス無しかつ演出も殆ど無しなのですが、作品世界に深く没入できました。撫でるようなタッチで優しく描かれるやりとりは実に心地よく、でもそれ自体は軽妙でテンポ感もあり、と会話の中でキャラクター達の距離感や感情がよく表現されていたように感じます。

優しい世界の中で、可愛らしくいじらしいヒロイン達との心地よい距離感とやりとりが楽しめる、それだけでもう十分に魅力的なものでした。月並みですが、プレイしてよかったです。満足です。

 ちなみに、可憐-桜(True-Happy)-紅葉の順でプレイしました。一番印象に残ったルートは桜Trueで、一番好きなキャラは可憐ちゃんですね。

可憐ちゃんはもうね、むっちゃいじらしくて可愛らしい。ガチ泣きしました。自分にとって、とっても人間らしかったです。推察される裏設定とか知らない段階からずっと1位です。

どのキャラが一番好きかはこれは完全に好みの問題なのですが、どのキャラがその人にとって1位であっても素直に頷ける、そんな印象です。

 では、それほど優しい世界なのになぜ"不気味"に感じたのか、ということについてちょっと書いていきます。

直接的な理由は、紅葉√を最後にやったからでしょう。

散髪の告白のシーンとか、本当に最高でしたよ。でも、他の√だと終盤に色々あったのに、紅葉√の終盤ではそれが全くない。

作中の言葉「化け物」を用いれば、「化け物」についての扱いが殆ど無く終わるということで、『さくらむすび』に横たわっている明確には明かされないなにかを強く意識させられた結果、空恐ろしさがまんま残ったのでしょうね。

大事なのは、この作品では何か重大な物事が明かされないままになっており、またそれに関して匂わせる描写が多々あることで気味の悪さをどこかで覚えたままになっている、ということです。

「繊細な心情描写で感情を学びつつ、優しい世界でいちゃいちゃを楽しめればそれでいい」というのは一つの大正解だと思いますが、まぁ可憐ルートに関しては、不気味に思わせるような隠された何かについてある程度納得できる話があったので、それだけ書いておきたいと思います。

こんなことは注意しておくまでもないでしょうけど、あくまで自分の解釈というか、自分の中では正しいと思っていることなので、そう思って適当に読んで下さい。

 

・金村世津子は部落(川向こう)ないし在日(外国人のような容貌と記述)、もしくはその両方であり、差別の対象であった。

作中でも言いづらい身分の差のようなものとして言及があるので、これはいいでしょう。部落か在日かは、なんというかぼかされていて、わざとどっちとも取れるようにしたという印象を受けました。

 

・可憐は光博と世津子の子供であり、圭吾と異父兄妹である。

これは作中では一切明示されていないですが、非常に説得力のある設定だと思います。

邦彦がどうして瀬良家に養子として迎えられたのかもこれで説明がつきますね。ちょうど楓が不義理の子である圭吾に耐えられず桜を養子にしたように、不義理の子である可憐に瀬良母が耐えられなかったんでしょう。

加えて、この上の設定でやっと腑に落ちたことがあります。それは、圭吾と可憐が付き合うことに光博が非常に強く反対したり、邦彦が強く忠告したりした理由です。

「圭吾の生まれの卑しさだけでこんなに強く反対されるものか?」という違和感がプレイ中にはあったので、これがストンと上手く説明される設定には素直に驚きました。少なくともこの2人に関しては、二段階の反対する理由があったのだろうと思います。

 

邦彦は圭吾と可憐が異父兄妹だということに当たりをつけていた。

養子として迎え入れられた邦彦だからこそ、その理由について敏感に感じ取らざるを得なかったのかなと。異父兄妹ということを知っているということにすればうまく説明のいく言動があるというのもありますね。

個人的な推測ですが、可憐ちゃんが家から持ってきた台本の内容で確信まで至ったのではないかと思っています。

可憐ちゃんについてですが、これは気が付いていたか分からないです。個人的には気がついていなかったんじゃないかと思いますが、気が付いていたとしても桜との教室でのあのやりとりに深みが増すのでいいかな~と。

 

・桜と可憐の対称性

{兄:圭吾(世津子の息子)、妹:桜(養子)}

{兄:邦彦(養子)、妹:可憐(世津子の娘)}

桜←圭吾と実妹だと思っていたが、実妹ではなかった。*1

可憐←圭吾と赤の他人だと思っていたが、実は実妹だった。

 

なんか綺麗だなと思いました。

 

以上です。

さくらむすび」の象徴するものや、作品自体のテーマとかは、プレイしたその人が感じたものそのままで良いと思っているので、特には書きませんでした。

*1:自分は桜と紅葉が実姉妹説を支持するので、可憐と桜が双子説は今回は無視します。

はし書き

字数制限のあるSNSに書ききれない内容をブログで語るような流れを色々なところで目にし、周りの人達もつらつらと書くようになってきたので、自分もブログを始めてみようと思いました。

時間を割いてでもやろうやろうと前々から思っていた理由は2つくらいあります。

まず1つ目は、バナーキャンペーンに参加したいという即物的な理由です。他の人が豪華な一点もののグッズに当選してるのを見て、羨ましいな~という気持ちです。これから一つぐらい当たれば御の字ですね。

2つ目は、感想を書くのが絶望的に下手なのでその練習がしたいからです。いざ感想を書こうとすると、感想が書けないくらいに苦手です。寄稿できる場を与えてもらっているので、努力くらいはしてみようと、そういう感じの心持ちです。一人でシコシコ書いていてもしょうがないので、他人の目に触れるような形にはしたいというのもあって、ブログなら知り合いからそう外れない範囲の人しか見ないかな~という甘えた考え。

 

気負うこと無く自由気儘に、その時に書きたいと思ったことが書ければいいですね。

見られるものだけど見られてはいない、そのくらいの軽い態度でやっていきたいです。